山階と稲作の歴史(民俗編)

多度津町山階・春日神社と青田

夏真っ盛りですね。山階春日神社のまわりには青田が広がっています。



山階地区は古くから稲作が盛んです。そこで今回は稲作を中心に探究してみました。



最初は民俗編です。稲作とは何か、そして稲作と山階の風習に着目します。

日本人とお米

稲とお米とごはん

稲作とはお米を作ることです。近年は米離れが進む一方で、米不足が社会問題となることもありました。

お米や稲作は古くから日本人の暮らしと密接に結びついています。「朝ごはん」や「昼めし」のように食事そのものを「ご飯」と呼ぶのはお米が食事の中心である証拠です。日本酒もお米から作られます。お正月には稲わらから作られたしめ縄を飾り、餅米でついた鏡餅を供えます。

日本の「和」を尊ぶ文化も稲作を中心とした共同作業から生まれたとされています。日本人にとってお米は単なる主食に留まらず、文化や精神の根幹を為す存在と言えます。

稲作と神事

香川県は面積は日本一小さいですが、平野部が多く人口密度は全国11位と高め。



狭い土地に労力を集中させた土地生産性の高い米作りが特徴です。

日照時間が長い瀬戸内海式気候で稲作に適していますが、古くから深刻な旱害(水不足による農被害)に悩まされてきました。讃岐の人々は多大な労力をかけて数多くのため池を築きましたが、それでも雨が降らなければ水は尽きます。そのため香川県には念仏踊りや獅子舞をして雨乞いをしてきた歴史があります。

山階と稲作

山階地区は香川県の丸亀平野の北西にあり、人口約1800人が暮らす農村集落です。



今でも面積の半分以上が田んぼで稲作が盛んです。

多度津町山階・護正神社と青田

山階は川の下流域にあるため、水の確保には特に苦労してきたようです。水不足のたびに松明を持って天霧山に登り、大火を焚いたり、獅子舞を奉納して雨乞いをした記録が残っています。

稲作には必ず神事祭事が伴います。農村集落においてそれらは暮らしの中に風習として溶け込んでおり、その根幹には神様への豊作祈願と感謝があります。

山階の夏祭り

農村集落での祀りごとは秋の収穫期に行われることが多いですが、山階では夏にも行われています。



今年は7月11日に高木神社で出雲祭、同26日に春日神社で夏御祈祷が行われました。

出雲祭

2026年 多度津町山階・高木神社 出雲祭 祭壇と神楽台

出雲祭は田植えを終えた時期に、山階本村の高木神社(高木宮)で行われているお祭りです。
古くは旧暦6月1日ロクガツヒトヨに行われていた祭事で、農村は休日となっていました。現在は毎年7月に行われています。

五穀豊穣や家内安全を願って獅子舞お神楽が奉納されます。獅子舞は神楽台前で2回、拝殿前で1回、荒神祠前で1回の合計4回。その後、お神楽が夕方から夜にかけて行われます。

獅子舞は山階地区の6組の獅子組のうちの1組が輪番で奉納しており、その当番獅子を大統獅子と呼びます。
今年の大統獅子は山階北山の獅子でした。上小原の獅子は再来年に奉納することになっています。

夏の獅子舞と虫送り

讃岐の獅子舞は秋に行われることが多く、夏に行われるのは珍しい風習です。

夏の獅子舞には虫送りの影響があると思われます。虫送りとは松明の火や太鼓・鉦の音で田んぼから稲の害虫を追い出し、豊作を祈る農村の風習です。虫追いとも言います。小豆島などでは現在も行われていますが、かつて山階でもこの時期に行われていたようです。

獅子舞の本来の目的は厄払いですが、農村において獅子は稲の害虫を払う役割も担うようになりました。虫送りは近代以降の害虫の予防技術によって廃れていきましたが、夏の獅子舞はその名残かもしれません。

山階北山の百万遍

虫送りと関係の深い風習として、百万遍ヒャクマンベンがあります。山階北山では現在も続いており、今年は6月28日に執り行われたようです。

百万遍は大勢の人が輪になって座り、大きな数珠を順繰りに回しながら念仏を唱える仏教行事です。大勢で唱えることで念仏100万回分のご利益があるとされています。

農村での百万遍は虫供養の目的があります。稲作で犠牲になった虫の霊を慰めることで五穀豊穣と家内安全を祈願するものです。

百万遍はかつて順気休みによく行われていました。農村では集落の田植えを終えた後に雨が降ると順気が良い(稲作にとって天気のめぐりが良い)と言って村の休日としていました。

また大昔には、大般若まわしという風習もあったようです。虫害がひどい年に行われる祈祷で、大般若経を借りてきて箱に入れ、それを担いで畦道を走りまわったとのことです。

夏御祈祷(土用大祓)

2026年 多度津町山階・春日神社 幣殿 夏御祈祷

夏御祈祷は夏の土用(立秋前の18日間)の第1日曜日に、山階春日神社で行われている神事です。

その年の当組の氏子が拝殿に集まり、半年間の罪や穢れを祓い、これからの暑い夏を健やかに過ごせるようお祓いをします。全国各地の神社でも夏越ナゴシの祭りとして似た神事がよく行われています。

昔は神社でのご祈祷の後に、神主が家々をまわっていたようですが、今では神社のみで行われ、その他に境内の清掃祭礼道具の虫干しをする習わしです。虫干しをするのは幟・獅子の油単・法被などですが、近年ではクリーニングして保管することも多いため、主に道具の点検を行います。

今年の夏御祈祷は土用の丑の日に行われましたが、かつてこの日に牛を海で水浴びさせる風習もあったようです。牛のほとんどは役牛(農作業用の牛)で、嘉永元年(1848)には山階だけで112頭、昭和30年(1955)には四箇地区全体で433頭もの牛が飼育されていた記録が残っています。

その他の稲作儀礼

山階地区の稲作儀礼は夏以外にもあります。



今も行われている風習と、かつて行われていた風習をまとめました。

祈年祭

稲作を始める前に、その年の豊穣を神様にお祈りする神事です。

「年」という漢字は期間や年齢によく使われますが、本来は稲の実りを指します。一年とは稲が実る期間であり、稲の実りで人はひとつ齢を重ねるというわけです。

宮中では毎年2月17日にこの祈年祭が行われています。山階では旧暦2月の申酉の日に、祈年祭として百々手(モモテ)(弓射でその年の豊凶を占う儀式)を行っていたようですが、現在は廃れ、龍王祭や自治会の会合などに変わりました。三豊地方などでは現在も百々手が行われています。

龍王祭

毎年4月に山階西村の公民館で行われているお祭りで、祈年祭を兼ねています。

雨をもたらすとされる天霧山に向かい、大統獅子による雨乞いでその年の豊作を祈願します。天霧山の山中には龍神祠があり、かつては旧暦5月吉日に山を登って獅子舞奉納をしていたようです。

水口ミナクチ祭(苗代ナワシロ祭)

種もみを蒔く日に、それぞれの農家が水口(田に水を引き込む口)で行う儀式です。苗代(田植え用の苗を育てる場所)で行うため、苗代祭とも言います。

水口に花を立て、鳥に種もみを食べられないことを願って焼き米を供え、苗の生育を祈ります。近代では田植機に苗を積むための育苗箱を使うようになり、ほとんど見かけなくなりました。

田植祭

サイケ(田植えを始める日)に、一番田(最初に植える田)の水口に花を立てる儀式です。

昔の田植えは集落総出の重労働だったため、作業の無事と豊作を祈って行われていましたが、これも田植機の普及により見かけなくなりました。古くは早乙女(女性)が一列に並んで歌いながら田植えを行い、男性は「男」という漢字(田の下に力)が示す通り、苗束などを運ぶ力仕事を担っていたようです。

稲作と関係の深い伝統芸能に田楽がありますが、これも田植えの疲労を紛らわせるために歌舞をはじめたことが起源とされています。

サンバイ

田植えを終えた日の家のお祝いです。サンバイとは田植えの神様の名称でもあり、サナブリサノボリという地域もあります。

かつて田植えは半夏生(夏至から11日目)までに終わらせるのが習わしで、サンバイは半夏生の時期にあたります。土地の狭い香川県では米と麦の二毛作が当たり前で、麦の収穫と田植えという大仕事を終えた祝いとして、穫れたての麦でうどんやだんごを作り、労をねぎらいました。そのため、半夏生はうどんの日にもなっています。

海が近い多度津では、苗の根がタコの足のように張ることを祈って、タコの三杯酢(酢・醤油・みりんを合わせたもの)を食べる風習もあります。また、田植えなどの大仕事が終えた後にはアシアライと行って、嫁に里帰りをさせたりもしていたようです。

このように大仕事を終えた節目で神様や人々の労をねぎらう風習があります。

収穫祭(秋祭り)

稲の収穫を前に神様に感謝する年間で最も大きなお祭りです。

古くは旧暦9月9日に行われていた祭礼で、お酒(どぶろく)を呑んだり、ささげご飯(ささげ豆を混ぜた赤飯)を食べる風習があったようです。今では10月に大祭りと小祭りに分けて行われています。詳しくは秋祭りをご覧ください。

オカイレ

稲の収穫を終えた日の家のお祝いです。田んぼの神様をオカハン(オカの神)と言い、その神様を家に招き入れることからオカイレと呼ばれるようになったと思われます。

近代ではコンバインで稲刈りと同時に脱穀も済ませますが、それまでは稲穂をハゼ(木の支柱)に掛けて乾燥させ、稲穂のまま家に持ち帰っていました。オカハンは田んぼから持ち帰る最後の稲束に宿るとされ、ささげご飯を一升枡に盛り、供えてから食べていたようです。

また、毎年秋に家に帰るオカハンのように、娘が嫁いだ後に帰ってくることがないよう、赤飯は娘には食べさせない習わしがあったとのこと。今では寿司などのご馳走を食べる風習として残っています。

ニワアゲ

もみすりを終えた日の家のお祝いです。ニワとは土間など家の作業場のことを指し、ニワでの作業を終えたことからニワアゲと呼ばれるようになったと思われます。

古くはおはぎや土穂団子ツツホダンゴ(もみすりの際にできたくず米で作る団子)を供えてから食べていたようですが、これも今ではご馳走を食べる風習として残っています。

亥の子

田んぼの神様を帰すための儀式です。

旧暦10月の亥の日に、子どもたちが亥の子石(縄をつけた石の塊)で地面をつきながら家々をまわり、新米でついた餅をねだります。山階でも明治時代まではあったようですが、現在は完全に廃れています。

新嘗ニイナメ

11月23日に山階春日神社で行われている神事です。

初穂(その年に収穫されたお米)を神様に供え、感謝を捧げます。祈年祭の対となる神事で、全国の神社で行われています。かつて新嘗祭は祭日として国民の休日でしたが、戦後に「勤労感謝の日」へと改名されました。

正月

年神様を家に迎える神事です。年神様の「年」は稲の実りのことで、穀物神でもあります。古代から稲作が発達するにつれて、年の初めに豊作を祈念するようになり、それが今の正月の風習になっています。

年末に餅をつき、玄関にしめ縄を飾り、山へシャシャキ(ヒサカキ)・松・裏白(シダ)などを取りに行き、鏡餅・橙・干し柿・お酒などと一緒に供えて、年神様を迎えます。

古くは大晦日に節木セチキ(正月用に取ってきた薪)でご飯を炊き、神棚にお供えしてから食べていたようです。この風習が御節供オセチクであり、おせち料理の起源です。

また、正月2日には鍬初め(クワゾメ)をしていたとのこと。田んぼを数回耕すなど稲作のまねをしてお酒やお米などを供えます。これを予祝ヨシュクと言い、未来の豊作を先に祝うことでゲン担ぎをしていました。余談ですが、春のお花見も満開の桜を稲の実りに見立てて前祝いすることで豊作を願う風習から来ています。

正月7日には七草粥を食べ、15日には送り正月としてとんど焼き(しめ縄などの正月飾りを燃やす行事)によって年神様を送り出します。かつてはカイツリと称して子どもたちが餅などをねだってまわったり、若者がニワカ(即興芝居)をしてまわったりもしたようです。

以上、主に季節の行事をとりあげましたが、日常生活を含めると他にも風習はたくさんあります。衣食住から道具に至るまで、農村集落において稲作の影響は計り知れません。

また、子どもの日・七夕・お盆・お月見など、一般的に馴染みのある行事の中にも稲作儀礼は息づいています。もし気になる方は稲作との関係を調べてみてください。大きな発見があるかもしれません。

最後に、稲作と獅子舞の関係性について考察して民俗編を終わりたいと思います。

稲作と讃岐の獅子舞

2017年 多度津町山階・春日神社 秋季例大祭 舞い込み 上小原獅子組

讃岐の獅子舞は大陸から伝わった伎楽(古代の仮面劇)を起源に持ち、神輿行列の先頭で厄払い(露払い)をする役割を持っています。その獅子の持つ厄払いの力はやがて讃岐の農村集落において、作物を荒らす害獣や害虫を払う力や雨を降らせる力にも変換されたようです。

また、土地が狭く水が不足しがちな讃岐では、集落内の結束と協調性が何よりも欠かせません。子どものうちから獅子舞を通して結束を強め、それが将来の農作業や防災における共同体として機能したのかもしれません。

獅子舞と太鼓台の違い

香川県は獅子舞が盛んですが、太鼓台(ちょうさ・だんじり)が盛んな地域もあります。

香川民俗学会理事の水野一典氏はとある講演で、お祭りの演目の違いはその地域のニーズの違いとおっしゃっておられました。

太鼓台は漁村集落に多く、獅子舞は農村集落に多い傾向があります。漁民は腕力が求められるため、担ぐ力が必要な太鼓台との相性が良く、農民は足腰の強さが求められるため、屈む姿勢が多い獅子舞との相性が良い、ということのようです。つまり、太鼓台のかきくらべは漁師の腕力を鍛え、獅子の舞くらべは百姓の足腰を鍛えるわけです。

また、獅子舞が香川県全域に点在しているのに対し、太鼓台は沿岸部や土器川流域、琴平町や善通寺市などにしか見られません。これは江戸時代に瀬戸内海や河川を通じて上方文化(近畿の文化)の影響を受けたものと思われます。

特に門前町などは町人が多く流行に敏感で新しい文化に魅力を感じたでしょうし、内陸の農村では新しい文化に触れる機会が少なく、寺社で行われてきた獅子舞に関心を持ち続けてきたのでしょう。そもそも人口の少ない農村では太鼓台の担ぎ手を集めるのが困難だった可能性もあります。

上小原獅子組が受け継いでいる獅子の芸のひとつに「溝ざらえ」というものがありますが、名称も動作も農作業の中から生まれたものだと分かります。獅子舞は讃岐の農村集落に根付くべくして根付いた民俗芸能なのではないでしょうか。

かつて米の生産で「加賀百万石」と呼ばれた石川県や富山県も獅子舞が盛んな地域です。稲作をする農民にとって獅子舞はニーズにあった民俗芸能と言えます。

獅子舞は日本で最も古く、最も数の多い芸能ですが、それは稲作の歴史の中で育まれたのかもしれません。

参考史料

  • 四箇村史
    昭和32年(1957) 四箇村史編纂委員会/編
    P59~61、197~199、475、476、606、765~778、795〜797、818、819、845~879
  • 多度津町誌
    平成2年(1990) 多度津町誌編集委員会/編 


    P937~949、1038~1048

「山階と稲作の歴史」記事一覧

  • 第1回 山階と稲作の歴史(民俗編)
  • 第2回 山階と稲作の歴史(古代・中世編)※近日公開予定
  • 第3回 山階と稲作の歴史(近世編)※近日公開予定
  • 第4回 山階と稲作の歴史(近代編)※近日公開予定

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